日光清掃登山
2024/07/07
日光(赤薙山・小丸山)
月に2回~3回の山行をレべル別で実施しています。チャーターバスでのゆったり山行がメインになります。 「百名山を目指す方、リーダー候補も大歓迎」
# | レベル | ランク | 1日の行程 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | ★ | 初級者 | 5時間前後 | 岩場・鎖場少ない |
2 | ★★ | 一般 | 6時間前後 | 岩場・鎖場有り |
3 | ★★★ | 健脚 | 6時間超 | 岩稜・ロング・ルートファインデング必要有り |
会員は 47名 (男性21名、女性26名) 50代、60代、70代が中心です。 年会費8,000円位(主に事務費・保険等)山行費用は参加者のみ実費で払います。 日本スポーツ協会公認山岳コーチもおります。
コンセ-レハイキング講座終了で受講生が立ち上げたクラブです。 安全に楽しく登山やハイキングするために活動計画と役割分担があります。(一社)栃木県山岳・スポーツクライミング連盟の講習会なども積極的に参加を勧めています。みんなで協力し、役割を分担して楽しい山行にしましょう。
観天望気・応急処置ができるようになりましょう。わからないところがあったら先輩方に聞けば教えてくれます。自然が好き、山が好き、花が好き、健康のため、いろんな方の参加をお待ちしております。
山への感想や、日頃の思い、クラブへの希望、諸々の想いを紹介します。
北海道羊蹄山とアポイ岳登山後に函館の「縄文文化交流センター」の遺跡見学を会の皆さんと見学した。羊蹄山ではシラネアオイなど高山植物をたくさん見ることが出来た。しかし天気に恵まれず頂上は霧で見晴らしはきかず、風も強く、お釜も霧の中、ただ高所恐怖症の身としたら良かったかもしれない。
日本の古代史は、近年遺跡の発掘調査が進み、縄文時代の人々の暮らしがどのようなモノか分かってきた。「ドラえもん」でない限り誰も見てないから推測だ。縄文は紀元前13,000年ころから約1万年以上、稲作が始まる前まで狩猟採集生活が長い間続いた。ただ栗の木など住居周辺に植えて、今で言う植林らしき跡もあるらしい。縄文時代は家族単位、何家族かの単位で生活を営んでいて、比較的平和だが、余裕がある生活とはいえず、その日暮らしで、大事な食料にしても栗・クルミなどの木の実、魚や小動物や鳥を燻製する技術はあったのかもしれないが、長期保存の効かない不安定な食料事情だったろう。病気やケガなどで不具合な人も居ただろう。皆で助け合って、また老人を大切にしていたと想像できる、文字などの記録が無い世界だから長い年月を生きてきた老人の記憶はすごく大事で、今とは大分違う。子供の生存率も低かったはず、函館の遺跡跡から子供の足形の粘土板がたくさん出土している。亡くなった子供の足形をとって埋葬時に入れたか、残していたのか子供への情愛は今でも変わらなく、足形の粘土板を見たとき泣けてきた。そう思うと縄文時代は、そう遠い時代ではないのかもしれない。文明は発達すればいいものでもないと私は思う。テレビなくてもゲームがなくてもスマホがなくても、充実した生活はあるはず。
遺跡で見学した石器、土器、土偶など中で一番の目的は中空土偶だ。日本の国宝の土偶は5個あり、今回見た遺跡の「茅空(かっくう)」土偶は現存する中空土偶としては日本最大。土偶として2件目の国宝。他には青森の「合掌土偶」、山形舟形町の「縄文の女神」は日本最大の土偶、長野県茅野「縄文のビーナス」「仮面の女神」土偶は女性型が多く、現在までに出土している土偶は大半が何らかの形で破損しており、故意に壊したと思われるものも多い、豊穣を意味するとの説が有力で壊して祈ったのかも知れない。土偶を含めた縄文土器は誰が作ったのだろう。いろんな形態の土偶や土器があって、精巧なものあり面白い。器用な芸術の才のある人はいたのだ。鏃など石器道具も広範囲で使われていて、日本には旧石器時代(打製石器)、新石器時代(土器を使う時代)石器は彌生時代までも使われていた。
羊蹄山の周囲にも縄文遺跡があり、毎日、山を見ていた縄文人がいたに違いない。ジョージ・マロリーは「なぜ、山に登るのか。そこに、山があるからだ」と言ったそうだが、縄文人Aも言ったはずである。四囲の人からはどう思われたのだろう、昔もあったと思うシラネアオイを意中の人に持って来たかも知れない。結果は? 記録は残ってない。(MOKU)
2024/07/07
日光(赤薙山・小丸山)
2024/02/23
栃木県青年会館(コンセーレ)にて発表